今年の日本シリーズでMVPを獲得し注目が集まる、甲斐拓也選手。
甲斐拓也選手の出身中学や高校時代どんな選手だったのか知っていますか?
なぜ守備に付く時ホームベースに「心」と書くのか?今回は甲斐拓也選手の出身中学・高校時代や身長、ホームベースに心を書く理由をご紹介します。
甲斐拓也(ソフトバンク)選手のプロフィール
まずは、甲斐拓也選手の現在のプロフィールを紹介します。
生年月日:1992年11月5日生まれ(25歳)
出身地:大分県
身長:170cm
体重:75kg
投球・打席:右投げ右打ち
プロ入り:2010年に育成ドラフト6位でソフトバンクに入団
初出場:2014年6月7日
年俸:4,000万円(2018年)
身長は170cmと野球選手としては小さめの身長で、体重は75kgと野球選手としてはあまり大きな体格ではありません。
2013年11月に育成選手から支配下登録選手となります。
2014年~2016年までの間の出場は3年間で15試合と少なかったですが、2017年シーズンに大ブレイクを遂げ、103試合に出場しました。
2018年はシーズンは133試合とほぼ全試合に出場しており、正捕手の座を手に入れました。
ですが、とても強肩で現在盗塁を刺すその送球は「甲斐キャノン」の愛称で知られており、今回の日本シリーズでもその強肩を発揮し、盗塁阻止率100%とソフトバンクを日本一に導く原動力になりました。
2017年には日本代表にも初選出されており、将来を注目されるほどの選手です。
甲斐拓也の出身中学や高校時代の成績は?
ただいま、大分(*^o^*)
久しぶりに楊志館にも行ってきました♪
今はどこにご飯食べいくか考え中🤔
別府の温泉にも入ってみたいしな🤔
大分県人だけど、温泉は詳しくないからわからんな〜(-᷅_-᷄๑) pic.twitter.com/9iIiHWGCFJ— 甲斐拓也 (@tmkotrm) 2017年12月15日
甲斐拓也中学校は
大分県の大分市立稙田東中学校
野球は
大分リトルシニアに所属
していたそうです。
当時はキャッチャーではなく内野手として活躍しています。
高校も
大分県にある楊志館高等学校
に進学し、ここで捕手へと転向します。
当時から強肩として有名でした。
2年生から正捕手として活躍し始めましたが、2年生の時は現在チームメートとして活躍している今宮健太選手が所属していた明豊高校に完封負けしてしまい、準々決勝敗退となってしまいました。
そして高校3年生になると打撃も開花し、春から夏の間に通算ホームラン40本のうちの25本を量産し、甲子園出場が期待されました。
ですが、初戦で敗退してしまい念願の甲子園出場はなりませんでした。
当時スカウトからはあまり評価されておらず、甲斐拓也選手は就職か進学か悩んでいました。
ですが、当時の監督・宮地弘明監督がソフトバンク九州担当スカウトに連絡を入れ、甲斐選手をテストすることになりました。
体格があまり大きくなかったが、スローイングが評価され、ちょうどソフトバンクが3軍制度を導入するタイミングと重なったため、2010年に育成選手としてソフトバンクから指名を受けました。
甲斐拓也の兄弟は?
甲斐拓也選手には3歳年上のお兄さんがいます。
お兄さんも楊志館高校でエースとして活躍していた経歴があります。
そのお兄さんは第89回全国高校野球選手権大会に出場しました。
現在ジャイアンツに所属する田中太一選手とチームメートで、当時全国大会に出場した経験があります。
そんなお兄さんの影響を受けて、甲斐拓也選手は野球を始めたといわれています。
そんなお兄さんはプロへは進まず現在は普通の社会人として生活をしているようです。
お兄さんはピッチャーだったので、プロ入りしていたら甲斐拓也選手との兄弟バッテリーも実現したのではないかと思い、少し残念な気持ちもあります。
甲斐拓也を支えたのはお母さん?
甲斐拓也選手と言えば、お母さんとのエピソードも有名です。
甲斐選手が2歳の時に両親が離婚してしまいます。
母・小百合さんはタクシードライバーの仕事をしながら、女手一つで甲斐兄弟を育てました。
仕事の掛け持ちをしていたらしく、甲斐選手が「寝ていないのではないか」と心配するほどでした。
そんな母の支えがあり、ソフトバンクに育成選手として入団した甲斐拓也選手ですが、入団当初は3軍の過酷な環境やコーチ陣からの厳しい言葉に、精神的にやられてしまい体重が8キロも落ちてしまいました。
さらにプロ契約となってからも壁にぶつかってしまい、何度も母に「結果が残せない」と悩みを相談することも多々あったようです。
それを聞いていた母も子供が苦しむ姿がかわいそうで「もう帰ってきたら?」と言ったこともあるようです。
そんな状況の中でも頑張れたのは母の存在があったからです。
当時のことを振り返り、甲斐選手は「母ちゃんのことを思えば、頑張れました。
母ちゃんの大変さに比べれば、自分のしんどさなんて小さいものだな、と。
母ちゃんのために頑張ろう、というのが1番でした」と語っています。
現在、母・小百合さんは個人タクシーとして仕事をしており、試合のある日は仕事を入れずテレビ観戦をしているそうです。
甲斐拓也選手と母・小百合さんの絆は強く、母親への恩返しのために甲斐選手は頑張り続けます。
甲斐拓也の彼女は誰?
現在、甲斐拓也選手には彼女はいないようです。
熱愛情報も出ておらず、現在は野球に集中しているようです。
最近までレギュラー争いを繰り広げ、スタメンが確証されていない中で野球をしていたので彼女を作らずに頑張っていたのでは?などの意見があるようです。
今シーズン大活躍をしたので、もしかしたら来シーズンには甲斐選手の彼女の噂が出回り始めるかもしれません。
甲斐拓也がホームベースに心を記す理由は?
甲斐拓也選手は試合の時に大事にしている儀式があります。
投球練習が終わると、腰を下ろし、ホームベース付近の土を慣らして、そこに「心」という字を書くのです。
毎イニングこの儀式を必ず行います。
この儀式を行うきっかけとなったのは、現ソフトバンク監督の工藤監督の一言です。
2017年シーズンに開幕1軍でスタートし、スタメンマスクをかぶる機会が多くなった、そのシーズンのある日、工藤監督から
「キャッチャーにとって大事なのは気持ちなんだ。投手を勝たせたいという心を、絶対に忘れてはいけない」
というアドバイスをもらった甲斐選手はこの儀式をはじめました。
では、なぜ「心」という字を選んだのでしょうか。
それは、甲斐拓也選手がホームベースに「心」を記す理由は高校時代の経験にあります。
当時楊志館高校野球部に入部した時に3年生の先輩に大崎耀子さんという先輩マネージャーがいました。
耀子さんは甲斐選手が入学する前年に末期の上咽頭がんを患っていたそうです。
病を抱えつつも部活に顔を出し、献身的に部員をサポートする姿に心を打たれ、当時からあっこさんと慕っていました。
その年の夏、楊志館高校は初戦敗退となってしまいましたが、その大会で耀子さんは念願のベンチ入りを果たしたのです。
ですが、その3か月後耀子さんは旅立ってしまいました。
命を懸けて戦っていた耀子さんが良く口にしていたのが「心」という言葉だったのです。
亡くなる直前にも、色紙に「心」という字を、力を振り絞って書いてくれたのです。
その経験が現在の甲斐拓也選手の脳裏にも残っており、今も甲斐拓也選手は「心」という文字と、耀子さんの気持ちを胸に戦い続けています。
きっと、耀子さんも天国から、甲斐選手の活躍を見ていることでしょう。
今後もその気持ちを忘れずに、さらなる活躍をしてくれることを期待します。
まとめ
- 甲斐拓也の出身中学は、大分市立稲田東中学校で野球チーム大分リトルシニアに所属していた。
- 甲斐拓也の出身高校は、楊志館高等学校で高校時代は、捕手へと転向。
- 高校2年生から正捕手として活躍、しかし甲子園出場は叶わず。
- 甲斐拓也には3歳上の兄がいて、野球を始めたのは兄の影響。兄も楊志館高校でエースで甲子園出場経験あり。
- 甲斐拓也は、両親が離婚し母に育てら、お母さん孝行をしている。
- 甲斐拓也がホームベースに心を記す理由は、現ソフトバンク監督の工藤監督と高校時代の先輩マネージャーの影響