4度のオリンピック、5度の世界選手権にも出場し、いくつもの日本記録を作ったベテランの福士加代子選手。
福士加代子選手といえば、トレードマークの笑顔に、メディアをにぎわす自由奔放な発言で有名ですね。
そんな福士加代子選手の年齢は?また引退についてはどうなの?
今回は、福士加代子選手の高校時代から今までの実績・経歴、引退の真相、東京オリンピックに出場できるの?など気になる話題をまとめてみました。
福士加代子の年齢は?
福士加代子選手は1982年3月25日生まれで、今年の3月で38歳になります。
福士加代子選手の同級生にはフィギュアスケート金メダリストの荒川静香選手、プロ野球選手の岩隈久志投手、政治家の小泉進次郎さんなどがいます。
スポーツ選手は30代後半になると現役引退をする選手も多くなりますが、まだまだ現役でご活躍されてる福士選手、素晴らしいと思います。
福士加代子の出身高校は?
福士加代子選手の出身高校は青森県立五所川原工業高校です。
高校時代は、実績はこれといってはありませんでした。
国体やインターハイに出場経験はあるものの、辛うじて決勝に残る程度の選手であり、目立った活躍は見られませんでした。
スポーツ界には中学、高校時代から頭角を現す方も多くいらっしゃいますが、福士加代子選手は遅咲きの花だったようです。
若い頃に挫折を繰り返し、強くなっている選手のように感じます。
福士加代子の実績・経歴は?
福士加代子選手は2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック、2012年ロンドンオリンピック、2016年リオデジャネイロオリンピックと4大会連続のオリンピック出場、さらに5度の世界選手権の経験がある、日本でトップランナーです。
また、3000mは8分44秒40、5000mは14分53秒22という現日本記録保持者です。
日本長距離界の大エース福士加代子選手が頭角を現し始めたのは、駅伝の強豪と呼ばれるワコール所属して2年目の2002年からです。
この頃は”ちょんまげヘア”でレースに出走し、福士選手のトレードマークになっていました。
2002年に横浜国際女子駅伝の2区に出走すると10kmを30分で走る区間新記録を打ち立て、若手の新星と呼ばれるようになります。
すると、同年の日本選手権では5000mと10000mでは、2冠を達成し釜山で行われるアジア大会の代表に内定します。
そのアジア大会では5000mと10000mともに銀メダルを獲得。
また、2002年のアジア競技大会の10000mの記録30分51秒81は日本歴代2位の好記録でした。
日本で10000mを30分台で走った選手は福士加代子選手を含めまだ3人しかいません。
2006年には丸亀ハーフマラソンにて初ハーフマラソンに挑戦すると、1時間7分26秒の日本新記録を樹立します。2007年にも同大会に出場し、2連覇を達成します。
マラソンに関しては当初「マラソンは走るつもりはない。2時間以上あるなら走り続けるより映画を見たい」と消極的な姿勢を見せていましたが、2008年に突如大阪国際女子マラソンで初マラソンに挑戦することになりました。
30km付近まではハイペースで後ろを突き放すものの、34km過ぎに追いつかれ、それ以降はスローペースで4度の転倒もあり19位と沈みました。
このことを福士加代子選手は「経験不足からのペース配分ミス」とマラソンを甘く考えていたことを反省したようです。
その後3年9ヶ月マラソンを封印するものの、2011年シカゴマラソンで復活すると自己ベストの2時間24分38秒を出し、
2013年には大阪国際女子マラソンに出場し2時間24分21秒で優勝。
この記録により、モスクワ世界陸上に内定します。
モスクワ世界陸上では30度を超える過酷な環境の中、2時間27分45秒で銅メダルを獲得。
さらに2016年の大阪国際女子マラソンでは2時間22分17秒の日本歴代8位の記録にて優勝し、リオデジャネイロオリンピックにマラソンに内定するも、オリンピック本番では14位2時間29分53秒。
2019年には名古屋ウィメンズマラソンにてマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)を出場権を獲得するも、MGCでは力及ばず7位でした。
長らくトラックの女王として君臨してきた福士加代子選手が、マラソンで何度も挫折を繰り返し苦しい思いも経験しました。
トラック競技でもワコールに所属してから才能が開花しましたが、マラソン競技でも同じように遅咲きの花だったようです。
福士加代子選手の努力の賜物をみると、応援をしたくなりますね。
福士加代子がマラソンを引退できない理由は?
福士加代子選手は、2008年からマラソンに挑戦をし、8年目の2016年にようやくリオデジャネイロオリンピックの切符をつかみました。
しかし、その結果は2時間29分53秒の14位に沈んでしまいます。
結果を残すことができず引退もちらつく中、”一等賞”を目指したい気持ちや、”一等賞”から逃げたい気持ちが交錯し、“まだやれるかもしれない”と自分への期待を感じる瞬間があったからこそやめられないようです。
福士加代子選手は五輪の借しは五輪で返す決意で「東京オリンピックを目指す」と公言されており、
「陸上競技人生をかけて、レースをしたいと思いますし、これからの自分の人生が良くなるというか、自分の人生につながるようなレースにしたい」
と集大成を見せる決意を固め、日本陸上界初の5大会連続オリンピックを目指します。
日本マラソン界では、安藤友香選手や松田瑞生選手など若手の活躍がありますが、そんな若手の活躍がベテラン福士加代子選手の新たな刺激になっているように感じます。
福士加代子が東京オリンピックに出場する可能性
東京オリンピックのマラソン代表は3枠ですが、もうすでに2枠は内定しており、残るはあと1枠です。
その1枠を勝ち取るためには、2020年3月8日に行われる名古屋ウィメンズマラソンで、2時間21分47秒の松田瑞生選手が大阪国際女子マラソンで出した記録を破らなければなりません。
2019年、福士加代子選手はMGC出場権を得るために大阪国際女子マラソンに出場しました。
しかし、12.7km地点で転倒により右顔と両膝を打撲し流血、結局35kmすぎで途中棄権してしまいます。
MGCの出場権を諦められなかった福士加代子選手は、中41日と短期間のスパンで名古屋ウィメンズマラソンに出場することを決め、なんと総合8位日本人2位の2時間24分9秒でMGCの出場権を獲得しました。
2019年9月のMGCでは7位と奮わなかったため、MGCファイナルチャレンジの大阪国際女子マラソンに2020年1月に出走するも、25キロ過ぎでリタイヤ。
しかし、このリタイヤは次戦を見据えたリタイヤで、今年もまた中41日で3月に行われる名古屋ウィメンズマラソンに出走することを公言しました。
設定記録の2時間21分47秒は、福士加代子選手の自己ベスト記録よりも早いタイムで、ハードルはすごく高いと感じます。
しかし、「陸上競技人生を懸けて走りたい」という意気込みを言っていた福士選手。
今回のマラソンも中41日と短期間のマラソンチャレンジとなりますが、2019年の良いイメージで出走できることを期待しています。
マラソンという競技の酸いも甘いも知り、より一層強くなった福士加代子選手が名古屋ウィメンズマラソンを“集大成“と位置付け、好記録が出て東京五輪の切符をつかむ可能性はあると思います。
福士加代子プロフィール
名前:福士加代子
生年月日:1982年3月25日生
年齢:37歳
血液型:型
出身地:青森県北津軽郡板柳町
身長:161cm
体重:45kg
学歴:青森県立五所川原工業高校ーワコール
所属:ワコール
まとめ
- 福士加代子選手は1982年3月25日生まれで今年38歳
- 福士加代子選手の出身高校は青森県立五所川原工業高校
- 福士加代子選手は3000m.5000mの日本記録保持者であり、ハーフマラソンの元日本記録保持者、マラソンは日本歴代8位の記録を持っています。
- 福士加代子選手がマラソンを引退できない理由は、一等賞を目指したい気持ちや逃げたい気持ちがあったものの、まだやれるかもしれない”と自分への期待を感じる瞬間があったからマラソンを引退できないそうです。
- 福士加代子選手は名古屋ウィメンズマラソンでの記録次第で東京オリンピックマラソン代表の可能性あり!