和歌山の強豪校、智辯和歌山高校で活躍をしている池田陽佑選手。
現在智辯和歌山高校のエースとして活躍している池田陽佑選手は中学時代はどんな選手だったのでしょうか。
池田陽佑選手の出身中学を見ていきたいと思います。
そして、中学卒業後智辯和歌山高校に入学してからはどんな選手なのでしょうか。
今までの経歴と合わせて、春の甲子園の注目選手・池田陽佑選手を見ていきましょう。
池田陽佑のプロフィール
池田陽佑 智弁和歌山2年
140㌔のストレートに縦に大きく曲がるスライダーを武器に安定したピッチングを展開する右腕。智弁和歌山では2年春のセンバツ決勝で大阪桐蔭相手に7回途中2失点の好投。2年秋からは背番号1を背負い、近畿大会では3試合全てにリリーフとして登板した。#本日の選手紹介 pic.twitter.com/f56yVHVVhl— ぶるーたす (@bluamabase) 2019年2月9日
名前:池田陽佑
生年月日:2001年11月17日
出身地:京都府宇治市
身長:180cm
体重:84kg
投球・打席:右投げ右打ち
池田陽佑の出身中学は?
池田陽佑選手は京都府宇治市出身の選手です。
小学校の情報は出てきませんでしたが、きっと地元の宇治市の小学校に通いながら野球をしていたことと思います。
中学校は宇治中学校に進学します。
中学校時代は中学校の部活ではなく、京都の硬式野球チームの京都ブラックスに所属していました。
京都ブラックスに所属していた時の先輩には、近江高校に所属していた松岡裕樹選手がいたそうです。
池田陽佑選手はその頃から野球センスの塊だったようです。
ですが、中学時代はチームとしての成績はあまり残せなかったようで、ヤングリーグの全国大会では優勝などをすることはできませんでした。
池田陽佑選手の中学時代の情報に関してあまり出てきませんでしたが、きっと中学時代から実力はかなりの者を持っていたのだと思います。
智辯和歌山での池田陽佑は?
中学生時代の野球生活を京都ブラックスで送った池田陽佑選手は、中学卒業後は京都を離れ智辯和歌山高校に進みます。
中学時代から実力のあった池田陽佑選手は1年生の頃には130km/h後半の速球を投げ込む実力を持ち合わせていました。
その実力もあって1年の春大会からベンチ入りを果たしました。
ベンチ入りした近畿大会でも登板機会を与えられ、そこでしっかりと結果を残しました。
その後も各大会しっかりとベンチ入りを果たしていました。
そして2年生の秋季大会からエースナンバーを背負うようになりました。
エースナンバーを背負っての近畿大会でもチームをベスト4に導く活躍をしました。
それによって春の甲子園出場を決めました。
1年生の頃から確実に実力と経験を積み重ね、成長してきた池田陽佑選手の甲子園での活躍は期待できます。
池田陽佑の高校での成績は?
池田陽佑選手は1年生の秋の大会からベンチ入りを果たしています。
そこではどんな成績を残しているのでしょうか。
1年生秋の近畿大会では準決勝、決勝と登板を果たしました。
ですが、リリーフ登板した大阪桐蔭との決勝戦では、根尾昂選手にホームランを打たれてしまいました。
そこで池田陽佑選手は「1球の怖さを思い知った」と語っていました。
その後出場した春の甲子園では2回戦を除く、残りの全試合に登板しました。
1回戦、準々決勝はリリーフ投手として登板した池田陽佑選手はしっかりとリリーフとしての役割を果たしました。
準決勝の東海大相模戦で公式戦初先発投手を務めましたが、1アウトも取ることができないまま降板するという残念な結果に終わってしました。
その翌日に行われた大阪桐蔭との決勝戦も池田陽佑選手は先発投手を務めました。
前日の東海大相模戦の投球とは別人のような投球を見せました。
当時強力打線と恐れられていた大阪桐蔭を7回途中まで2失点に抑えるというほぼ完璧に近い投球を見せました。
その気迫のこもった投球は観客たちの心を掴み、7回途中に降板するときにはスタンドから大きな拍手が巻き起こりました。
その後2年の春から中々登板機会を得られなかった池田陽佑選手は、次に公式戦に登板したのは夏の甲子園でした。
甲子園での近江高校との試合にリリーフ登板したものの、打者1人にしか投げることはできずに終わってしまいました。
2年の秋からエースナンバーを背負った池田陽佑選手ですが、エースナンバーを背負って迎えた近畿大会でしたが先発として投げることはありませんでした。
3試合合計で7イニングしか投球する機会を得られませんでした。
エースナンバーを背負いながら、思ったような登板機会を与えられていない池田陽佑選手ですが、次の春の甲子園までには、さらに投球術を磨いて先発としてマウンドに上がってもらいたいです。
敗戦から成長した池田陽佑
春の甲子園で5試合中4試合に登板し、準決勝・決勝と先発登板を果たした池田陽佑選手ですが、そこまで活躍するようになったのには近畿大会での苦い思い出があったからです。
池田陽佑選手は1年の秋に行われた近畿大会の決勝にリリーフ登板をしました。
両チーム無得点のまま迎えた6回に登板した池田陽佑選手は、前日に行われた準決勝よりも調子が良かったようで、ストレートも130km/h後半を常時叩き出しており、決め球のスライダーも良かったようです。
ですが、リリーフ登板した6回に迎えた当時大阪桐蔭の4番で現在中日ドラゴンズに所属している根尾昂選手の打席で、ファウルで粘られた末に決め球のスライダーをホームランにされてしまいました。
これが決勝点となってしまい智辯和歌山高校は優勝を逃してしまいました。
これを振り返り、池田選手は「1球の怖さを思い知った」と語っていました。
そこから春の選抜までに池田選手の課題であった制球力を高める練習を取り入れたようです。
ブルペンでも大阪桐蔭の選手から三振をとる事を意識し、きわどいコースを攻める練習に取り組んだようです。
その頑張りもあり、春の選抜では5試合中4試合に登板を果たし、準決勝では公式戦初先発を果たすなど、しっかりと結果を残しました。
池田陽佑はどんな選手?
2018.09.08
和歌山県下新人戦
準決勝
【智辯和歌山-南部】
池田 陽佑 選手#智辯和歌山#池田陽佑 pic.twitter.com/HSBKObsCbI
— 智辯和歌山追っかけ隊員 (@cbw_2019) 2018年9月9日
池田選手は130km/h後半のストレートを軸にした投球をする大型右腕です。
決め球は縦スライダーです。
池田選手の縦スライダーは打者の手元で大きく落ちるので、相手打者は対応できず空振りを取ることができます。
ただ、池田陽佑選手は制球力に難があるようで、今後の課題として残りそうです。
制球力を高めることができれば、長身から投げ下ろされる速球は相手チームにとっての脅威となるでしょう。
高校最後となる3年生では課題を克服し、伝統のある智辯和歌山のエースとして甲子園で躍動してもらいたいです。
まとめ
- 池田陽佑選手は京都府宇治市出身
- 池田陽佑選手は宇治中学校出身
- 池田陽佑選手は硬式野球チーム京都ブラックスに所属していた
- 池田陽佑選手と近江高校の松岡祐樹選手は元チームメート
- 池田陽佑選手は智辯和歌山高校に進学した
- 1年生の秋からベンチ入りをしていた
- 2年生の秋からエースとして活躍している
- 池田陽佑選手は春の甲子園準決勝の近江高校戦で初先発を果たした