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今や日本女子フィギュアスケート界のトップ選手と言っても過言ではない、宮原知子選手。フィギュアスケートはお金のかかるスポーツで有名ですが、宮原知子選手のご両親はお医者さんだそうなので、相当お金持ちなのだと思われます。

どこの病院に勤めているのか気になりますね。

宮原知子選手のご両親は仕事で忙しかったため、宮原知子選手はおばあさまと一緒にいる時間のほうが長かった話しはよく聞きます。

今回は、お医者さんである宮原知子選手のご両親や勤めている病院についてご紹介します。


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宮原知子の両親の職業は医師?


前述のように、宮原知子選手のご両親はお医者さんです。

フィギュアスケートはお金のかかるスポーツだと言われていますし、その上宮原知子選手くらいのトップクラス選手になると海外遠征や合宿なども増えますので、さらにお金はかかると思います。

お金の問題でフィギュアスケートを続けられなくなったり、夫婦仲が悪くなってしまう家庭もある、という話しを聞いたことがあります。

しかし宮原知子選手のご家庭のようにご両親が共にお医者さんですと、経済的には問題ないのではないかと想像できます。

その分お二人ともとても忙しいのではないでしょうか。

その中で、毎日練習に励み、学校の勉強もしっかりとされている宮原知子選手は素晴らしいです。

それにしても、ご両親ともお医者さんだなんてお二人とも相当頭が良い方なのでしょう。

宮原知子選手もその遺伝子を受け継いでいますので、頭が良いのではないでしょうか。

関西大学高等部に通っていたころは、練習や試合で学校にいけない期間も多かったはずなのに、常に成績オール5を維持していた、という話しは有名ですよね。

まさに、文武両道を体現していらっしゃる方だと思います。

jたしかに、宮原知子選手のインタビューなどを見ていても、品があり丁寧な言葉使いでとても知的な印象を受けます。

父親は医師でどんな人で勤めている病院はどこ?

宮原知子選手のお父さまは、宮原亮(みやはらりょう)さんという方です。

現在、京都市立病院の呼吸器外科で部長を務めていらっしゃるそうです。

また、京都大学医学部附属病院呼吸器外科の講師も務めています。

また、宮原知子選手のお父さまは、「日本外科学会専門医」「日本胸部外科学会認定医」「日本呼吸器外科学会専門医評議員」「日本臨床腫瘍学会暫定指導医」「日本呼吸器学会呼吸器専門医」という、数々の肩書をお持ちです。

宮原知子選手は、幼少期から7歳くらいまでご両親の仕事の都合で、アメリカのテキサス州ヒューストンに住んでいた経験もあるというのですから、宮原知子選手のお父さまはアメリカで医師をされていた経験もあるのでしょう。

改めてその経歴を見るとそのすごさがわかりますね。

お父さまは、高校時代までは体育会系で勉強もそんなに得意ではなかったそうですが、高校3年生の時に突然医学部を目指すことを決意したそうです。

そこから猛勉強をして、京都大学の医学部に合格し、1987年に同大学を卒業、そして今に至っています。

お父さまはスポーツが得意だったということで、宮原知子選手の運動神経の良さと努力家なところは、お父さまに似たのかもしれませんね。

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母親は医師でどんな人勤めている病院はどこ?

宮原知子選手のお母さまは、宮原裕子(みやはらやすこ)さんという方です。

現在、宮原知子選手のお父さまと同じく、京都市立病院の血液内科で副部長を務めていらっしゃるそうです。

宮原知子選手のお母さまは、あまり運動神経が良かったわけではないようです。

しかし、女性でお医者さんになり、今でもバリバリ働いてらっしゃるのはとても頭が良く、素敵でパワフルな方なのでしょうね。

そんなお忙しい宮原知子選手のお母さまですが、このように語っていたことで有名です。

患者さんが1番。でも娘のやりたいことは全力で応援する。指導医としても後輩医師に恥ずかしくない背中を見せたい。」

この言葉のように、宮原知子選手のお母さまは仕事がある日には仕事に集中し、仕事がお休みの日には宮原知子選手のお弁当を作ったり、スケートリンクまで送りに行ったりしているそうです。

1人の母としても、そして1人の医師としてもどちらもおろそかにすることなく全力でやる、という決意のような言葉に聞こえます。

宮原知子選手のメンタル面の強さは、お母さま譲りなのかもしれませんね。

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宮原知子の実家はお金持ち?

フィギュアスケート選手のほとんどの実家はお金持ちと聞きますが、宮原知子選手もそうなのでしょうか。

ご両親が医者ということもあって宮原知子の祖母が面倒をみていたという噂も聞きますが実際はどうなのでしょうか。

祖母とのエピソードは?

前述のように、宮原知子選手のご両親はお医者さんであり、それぞれ仕事で忙しい毎日を送っています。

それでは、宮原知子選手はどのようにを幼いころから生活し、フィギュアスケートをやる日々を過ごしていたのか気になりますよね。

調べてみると、宮原知子選手を幼いころから面倒を見ていたのは、宮原知子選手のおばあさまのようです。

おばあさまは、宮原淳子(みやはらじゅんこ)さんという方だそうです。

苗字が宮原なので、きっと父方のおばあさまなのでしょう。

ちなみに、宮原知子選手のおじいさまは、宮原明(みやはらあきら)さんという方なのですが、2014年に亡くなられています。

宮原知子選手のおばあさまは、宮原知子選手のことを「サトちゃん」と呼んでいるそうです。

宮原知子選手は、ご両親の仕事の都合でアメリカのテキサス州ヒューストンに住んでいた4歳のころ、スケート教室に通い始めました。

始めのほうは楽しんで通っていたものの、言葉の違いもあり幼少期からあまり積極的なほうではなかった宮原知子選手を見て、お母さまが「これはだめだ」と思い2か月で辞めさせてしまいました

しかし、それを聞いたおばあさまが電話で「なんで簡単に辞めさせたんだ」と怒ったそうです。

その後、宮原知子選手はそれまでグループで受けていたレッスンを個人レッスンに切り替え、スケートに打ち込むようになったそうです。

あの時のおばあさまの一言がなければ、宮原知子選手はフィギュアスケート選手になってなかったかもしれませんね。

宮原知子選手がご両親とともに帰国してからは、さらに献身的に宮原知子選手の面倒をみていたと言います。

宮原知子選手がまだ小学生の時には、毎日練習の付き添いに行っていたそうです。

それも、小学校が終わるころに夜ごはん用のお弁当を作って持っていき、おばあさまは運転免許を持っていなかったため、一緒に電車に乗って行っていたんだとか。

時には、一緒にご飯を作ったりしておばあちゃんというよりは、宮原知子選手にとってお母さんのような存在だったのではないでしょうか

宮原知子選手のおばあさまは、孫思いでとっても優しい方ですよね。

そして、宮原知子選手が平昌オリンピックに出場することが決まってからは、宮原知子選手の晴れ舞台を見に行くために、人生で初めて海外に行ったそうです。

パスポートも初めて申請し、準備は大変だったそうですが、きっととても嬉しかったのではないでしょうか。

宮原知子選手がオリンピックに出場することについては、「さとちゃんの夢が叶ったんですから、出場できただけでもうれしい。楽しんで滑って、悔いの残らない、自分なりの試合ができたら十分です。」と語っていました。

宮原知子選手は幼いころから面倒を見てくれたおばあさまに感謝していることでしょうが、オリンピックに出場して素晴らしい演技をしたことで、最大の恩返しになったのではないでしょうか。

素敵なご関係だと思います。

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宮原知子の兄弟は?

今や、日本女子フィギュアスケート界の「ミス・パーフェクト」と呼ばれる宮原知子選手ですが、兄弟はいるのでしょうか。

浅田舞さん・真央さん姉妹や、横井ゆは菜さん・きな結さん姉妹などフィギュアスケート界には姉妹で活躍されている方々もいますよね。

調べてみると、宮原知子選手にはどうやら妹さんが1人いらっしゃるようですが、現在フィギュアスケートはやっていないようです。

お姉さんがやっていると妹も自然な流れで始める、というパターンが多いので、幼いころにはやられていた可能性もありますが、どうなのでしょうか。

宮原知子選手の妹さんは一般人ですので、あまり情報はありませんでした。

まとめ

  • 宮原知子選手のご両親は、お二人とも京都市立病院のお医者さんである。
  • 宮原知子選手のお父さまは、宮原亮さんという方で京都市立病院の呼吸器外科で部長を務めている。
  • 宮原知子選手のお母さまは、宮原裕子さんという方で京都市立病院の血液内科で副部長を務めている。
  • 宮原知子選手のご両親は仕事で忙しいため、宮原知子選手は幼少期からおばあさまに育てられてきた。
  • 宮原知子選手のおばあさまは、平昌オリンピックを見に来ていた。
  • 宮原知子選手には、妹さんが1人いるようだが、フィギュアスケートはやっていないようであまり情報はなかった。

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