今や日本女子フィギュアスケート界のエースである、宮原知子選手。

宮原知子選手は2017年に左股関節を疲労骨折し、一時期競技から離れていた時期がありました。

栄養不足が怪我の一因とされ、その時話題となったのが当時の宮原知子選手の身長と体重。

また、宮原知子選手は頭が良いと言われていますが、通っている大学や学部、出身高校が気になります。

今回は、宮原知子選手の身長と体重、大学や学部について調べてみました。





宮原知子の体重身長は?

宮原知子選手は、2017年の1月に左股関節の疲労骨折が判明し、競技から離れている期間がありました。

翌年には平昌オリンピックが控えており、一時はオリンピック代表に選ばれるかどうかも心配されていました。

怪我が判明したのは2017年1月でしたが、痛みは2016年12月に行われたグランプリファイナルに出発する前からあったようです。

当初は筋膜炎と診断されていたのですが、全日本選手権後の再検査で疲労骨折だとわかりました。

宮原知子選手は、そのコーチである濱田美栄コーチが「努力の子」と評価するほど、ひたすら氷に乗って淡々と練習を積むことができる選手だと有名です。

疲労骨折の原因としても、そのような練習のしすぎによる疲労ももちろんありましたが、それだけではありませんでした。

医師によると、宮原知子選手は長年にわたる栄養不足で血液状態が悪く、骨密度が低下していたことも大きな理由だったようです。

宮原知子選手は元々細い選手でしたので、極度にダイエットをしていたわけではないと思いますが、フィギュアスケートでは少しでも体重が増えるとジャンプに大きな影響が出てしまうため、体重の増減に敏感な人が多いです。

これはあくまで推測ですが、宮原知子選手は摂取エネルギーよりも練習での消費カロリーが多い状態が長年続いてしまい、それが栄養不足につながってしまったのではないかと思われます。

怪我をした当時の宮原知子選手の身長は150cm、体重は37kg、体脂肪は6%だったようです。

日本人女性の平均体脂肪率が25%くらいですから、相当体を絞っていることがわかります。

その後、宮原知子選手は肉体改造に取り組みました。

まずは体に必要な栄養をしっかり取るため、東京にある国立スポーツ科学センター(JISS)で栄養管理の勉強をしたそうです。

また、リハビリをしていく中で卓球の石川佳純選手やスピードスケートの高木菜那選手とも話す機会があったようで、そういった他のスポーツ選手との交流も宮原知子選手の励みになったようです。

そういった努力が実を結び、体重や体脂肪率も以前より増えました。

しかし、同時に筋力トレーニングを行っていたため、太ったわけではありません。

栄養も筋力もバランスよくつけた宮原知子選手は、怪我をする前よりもパフォーマンスの質がよくなったと語っていました。

現在の宮原知子選手の身長は152cm、体重は42kg、体脂肪率は9%前後だそうです。





宮原知子の出身高校は?

宮原知子選手の出身高校は、関西大学高等部です。

小学校は立命館小学校でしたが、中学からフィギュアスケートに専念できる環境にある関西大学中等部に進学しています。

そのため、中学校からの一貫で関西大学高等部に進学したのだと思われます。

宮原知子の大学学部は?

宮原知子選手は高校卒業後、関西大学文学部に進学しました。

しかし、宮原知子選手は現在、大学を休学しています。

フィギュアスケートの練習や試合で長い期間の遠征が多く、授業に出ることが難しくなったのだと思われます。

全日本チャンピオンでオリンピックに出場するようなすごい選手ですから、選手として活躍できるうちはフィギュアスケートに全力を注ぎたいという思いがあるのでしょう。




宮原知子の学力がすごいって本当?

関西大学もその附属高校も、偏差値の高い学校で有名ですよね。

関西大学高等部の偏差値は66もあるそうです。

しかも、それ以上に驚くのは、宮原知子選手はフィギュアスケートの練習や試合で忙しかったにも関わらず、成績をオール5を取っていたというのです。

勉強もできて、スポーツもトップレベルの実力を持っているなんて、本当にすごいですね。

練習や試合で学校に行けないときには、課題などを持っていき空いている時間に勉強していたようです。

オール5という成績は、宮原知子選手の努力の結果なのです。

宮原知子は英語がペラペラなの?

宮原知子選手は、ご両親の仕事の関係で5歳から7歳までの2年間、アメリカで生活していたようです。

ちょうど言葉を覚え始めるくらいの幼いころをアメリカで生活していたのですから、英語は自然と身についたのではないでしょうか

宮原知子選手は帰国後も英語力を維持向上させ、なんと10歳の頃に英検2級を取得していたようです。

海外遠征で外国人のコーチに指導してもらうこともある宮原知子選手ですが、通訳なしでやり取りされています。

普段は宮原知子選手が英語を話している場面を見ることはありませんが、英語はペラペラだと思われます。




宮原知子と名コーチとの出会いは?

濱田美栄 プロフィール

生年月日:1959年10月29日

年齢:59歳

血液型:調査中

出身地:京都府京都市

学歴:同志社大学卒

京都府京都市出身で、自身もフィギュアスケートをやられていました。

同志社大学卒業後はコーチとして、京都醍醐FSCおよび関西大学アイスアリーナで多くの選手を指導しています。

濱田美栄コーチの教え子には、宮原知子選手はもちろん、紀平梨花選手や白岩優奈選手、本田望結選手など、現在の日本のトップ選手といっても過言ではないような実力ある選手が集まっています。

宮原知子選手が初めてスケート靴を履いたのは、5歳の頃だったそうです。

その頃、宮原知子選手はご両親の仕事の都合により、アメリカに住んでいました。

小学校2年生の時に帰国すると、ご両親は仕事で忙しかったため、宮原知子選手のおばあさまが京都のリンクに連れて行ったそうです。

宮原知子選手とおばあさまがスケート靴のひもを結ぶのに手間取っていたときに声をかけたのが、濱田美栄コーチだったのです。
それがきっかけとなり、宮原知子選手は現在も濱田美栄コーチに師事しています。

田村岳斗 プロフィール

生年月日:1979年5月28日

年齢:39歳

血液型:A型

出身地:青森県八戸市

学歴:日本大学通信教育部経済学部卒

田村岳斗さんは、5歳の時にスケートを始め、幼いころは仙台で荒川静香さんも師事していた長久保裕さんに習っていました。

高校は、東北高等学校を卒業されています。

1997年1月の全日本選手権では2位に入りました。

また、男子シングルだけでなくペアも組んでおり、同大会ではペアでも出場し優勝もしています。

そして同じ年の12月の行われた全日本選手権では、男子シングルで全日本選手権初優勝を飾り、1998年の長野オリンピックにも出場しました。

長野オリンピックでは17位という成績でしたが、現役中8大会連続で全日本選手権表彰台に上がり続け、世界選手権やオリンピックにも出場しているのですから、かなりの実力の持ち主だったことがわかります。

2004年の世界選手権の後に引退を表明し、京都を拠点とする濱田美栄コーチのアシスタントコーチとして、選手を育てる道に進みました。

また、コーチ業だけでなく現在でも、高校の後輩である荒川静香さんが主催する「フレンズオンアイス」では、ショースケーターの一員として活躍しています。

宮原知子選手と田村岳斗コーチの出会いは、田村岳斗コーチが現役を引退し濱田美栄コーチのアシスタントを務めるようになったことがきっかけだと思われます。

今では、濱田美栄コーチは何人もの日本トップ選手を抱えています。

紀平梨花選手や白岩優奈選手、本田望結選手や本田紗来選手も濱田門下生です。

そのため、田村岳斗コーチはもはやアシスタントコーチというよりも濱田美栄コーチとともに選手を育てているようです。

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まとめ

  • 宮原知子が怪我をした理由1つは、栄養不足で血液状態が悪く、骨密度が低下していたからだった。
  • 宮原知子が怪我をした当時、身長150cm、体重37kg、体脂肪率6%だった。
  • 宮原知子は怪我をした後、栄養管理と筋力トレーニングに取り組み、体の改善に取り組んだ。
  • 宮原知子の出身高校は関西大学高等部で、大学は関西大学文学部に進学した。現在は休学している。
  • 宮原知子は高校時代、フィギュアスケートで忙しかったにも関わらず、オール5を保っていたということで学力が高いと思われる。
  • 宮原知子は英語がペラペラだと思われる。
  • 濱田美栄コーチとの出会いは、宮原知子が小学校2年生の時。
  • 田村岳斗コーチとの出会いは、田村岳斗コーチが濱田美栄コーチのアシスタントとなったことがきっかけ。