NBAのドラフトで日本代表の八村塁選手がワシントン・ウィザーズから1巡目全体9位指名され話題となり、出場したNBAの試合でもダブルダブルを記録する等の活躍をしています。
大きな選手に囲まれてプレーをしている八村塁選手ですが、体格的にも負けていないように見えます。八村塁の身長体重はどのくらいあるのでしょうか。
NBAだけではなく、日本代表としても今後の活躍が期待される八村塁選手。
今回は中学高校時代の戦績をしらべ、そのエピソードを紹介していきます。
八村塁の身長体重は?
八村塁選手の身長は206㎝、体重は106㎏です。
とても大きいですね。
しかも、若い八村塁選手は身長がまだ伸びているようで、これから更に大きくなっていくことでしょう。
八村塁選手は中学生の時点で180㎝あったそうで、高校入学の時には190㎝、卒業時には199㎝。
そして大学に入っても伸び続けていました。
八村塁選手は父親がベナン人、母親が日本人のハーフで、国籍はもちろん日本です。
八村塁選手は父親はザカリ・ジャビルさんとおっしゃる方で。
元バスケットボール選手で身長が高く、八村塁選手はその父親からの遺伝もあり高身長になることが出来たのでしょう。
八村塁の足の大きさは?
身長が2m以上もあり高身長の八村塁選手ですが、足のサイズはどれくらいなのでしょうか。
調べてみたところ、なんと34㎝もあるそうです。
足のサイズと身長は比例すると言われていますが、ビックリする大きさですね。
八村塁の出身大学は?
高校時代にとても活躍していた八村塁選手は、多くのNCAAの強豪大学からスカウトをされていたそうです。
NCAAとは、アメリカ大学スポーツ協会のことで、運営する競技会の種目は、アメリカンフットボール、バスケットボール、野球、アイスホッケー、テニス、ゴルフ、陸上競技、アマチュアレスリングがあり、大学運動協会としては世界最大規模の組織です。
そして入学を決めた大学は、NCAAのトーナメント等で頻繁に上位まで進出している強豪校ゴンザガ大学です。
ゴンザガ大学はアメリカ合衆国のワシントン州スポケーンにある私立大学です。
NBAの殿堂入りバスケットボール選手の「ジョン・ストックトン」も在籍していたことのある有名な大学です。
ゴンザガ大学は、一定の成績を取らなければスポーツをすることが許されておらず、試合にも練習にも参加できないそうです。
あまり英語が得意でなかったという八村塁選手は、勉強も凄く頑張っていたとのことです。
大学時代のバスケの成績は?
NBAのドラフトで1巡目指名を受けた八村塁選手ですが、始めから活躍できたわけでは無いようです。
大学1年目のシーズンは、英語力が不足していたこともありチームのシステムを理解することがなかなか出来ず、試合に出る時間もあまりありませんでした。
それでも腐ることなく勉強もバスケットボールも必死に頑張っていたという八村塁選手。
チームの主要選手になる為に努力する1年でした。
2年目のシーズンはチームの6人目の選手、スタメンではないですが5人の次に出てくる役割を担うようになりました。
ゴンザガ大学はNCAAトーナメント16強進出し、八村塁選手は合計で約40分出場しましたが、成績は平凡な数字しか残せませんでした。
3年目のシーズンになると、努力の結果が出始めその実力が開花、チームのエースへと成長していきます。
ポジションはゴールに最も近いポジションであるパワーフォワードを務め、シーズン開幕戦で自己最多の33得点をあげる活躍を見せます。
八村塁選手は、単に得点を取るだけではなく、ディフェンスでも素晴らしいプレーをするレベルの高い選手に成長し、ゴンザガ大学が所属するウェストコースト・カンファレンスの週間最優秀選手に何度も選出されています。
八村塁の出身高校は?
明成高校・八村塁選手のダンクhttps://t.co/xaFcISI62G
— 高校生はすごいぜ! (@tetibavefuf) 2018年11月4日
八村塁選手は宮城県仙台市にある「明成高校」出身です。
明成高校はバスケットボール強豪校として有名で、八村塁選手は富山県出身ですが、バスケットボールを強豪校でやる為に、宮城県の高校を選びました。
アルバルク東京に所属しているバスケットボール選手の馬場雄大選手もこの高校出身です。
強豪校にも関わらず、八村塁選手は1年生からレギュラーとして活躍します。
高校時代のバスケの成績は?
・全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会での成績
八村塁選手は「第44回全国高等学校バスケットボール選抜優勝大会」に1年生でありながら出場し決勝まで進出。
決勝では32得点をあげて明成高校の優勝に貢献します。
そして、2年生の時にも、同大会の第45大会で優勝に貢献。
第44回、第45回大会と2大会連続でベスト5選手に選出されています。
・ウインターカップでの成績
八村塁選手率いる明成高校は、高校バスケットボールの頂点を決めるウインターカップで3連覇しています。
3年生の時のウインターカップの決勝では34得点19リバウンドを記録し、八村塁選手の活躍で明成高校は素晴らしい逆転劇を見せました。
・FIBA ASIA U-16・FIBA U-17に出場
八村塁選手は1年生でU-16に選ばれ、韓国戦で19得点25リバウンド、中国戦で25得点8リバウンド、チャイニーズ・タイペイで21得点6リバウンドと大活躍をして、日本チームの3位入賞に貢献しました。
そしてU-17でも得点王に輝く活躍を見せ、日本チームは男子バスケットボール世界選手権大会の出場権を初めて獲得しました。
・NCAA(全米大学体育協会)ディビジョン1の強豪校から スカラシップ選手として勧誘
高校時代の活躍が認められた八村塁選手は、日本人で初めてとなるNCAA(全米大学体育協会)ディビジョン1の強豪校からスカラシップ選手として勧誘されます。
身長も高く、体格的にも十分世界で通用すると判断された結果です。
・NBA選手になる目標について
小さなころからNBA選手になりたいNBAに行くんだと思っていたという八村塁選手。
自分のやれることをしっかりやれば、夢は近づいてくるはずと語っていました。
そして、2020年の東京オリンピックでもアメリカを倒してメダルを取りたいとも語っています。
大学に入る時に、NBA選手になるには人間力が必要で、大学ではその人間力をつけたいとコメントしていました。
その考えを持つようになったのは、中学時代の坂本穣治コーチの存在があります。
「人間力が高まればバスケも成長する」と言われ、それが一番大事だと思うようになり、バスケだけ出来ても駄目だと気付いたそうです。
バスケ部坂本穣治コーチの指導法
中学生になった八村塁選手は、身長が大きかったこともありバスケットボール部に誘われバスケットボール始めました。
その時に出会った坂本穣治コーチの存在が、その後のバスケットボールに大きな影響を与えたそうです。
八村塁選手が野球、陸上と多種目経験していたこともあり、いつかバスケに飽きるのではないかと心配していた坂本穣治コーチは、本場アメリカのバスケットボールの試合の雑誌や映像を見せ「お前は頑張ればNBAに行ける」と何度も声を掛けていました。
実は、本当にNBAに行けると自信があったわけではなく、バスケットを続けさせる為に言っていたらしいです。
そして坂本穣治コーチは根性論で選手を叱ることは一切せず、同じ目線に立って指導していました。
八村塁選手は、坂本穣治コーチに言われたことを信じ、自分はNBA選手になれるんだと確信を持って練習してきたそうです。
八村塁の出身中学校は?
富山県で生まれた八村塁選手は「富山市立奥田中学校」の出身です。
富山市立奥田中学校は特にバスケットボールが強い学校では有りませんでした。
中学時代のバスケの成績は?
八村塁選手は、バスケットボールを中学校から始めているのですが、始めからバスケットボールが上手かったわけではなかったそうです。
上級生にはもちろんの事、同級生にも敵わなかったとのことです。
しかし、負けず嫌いの八村塁選手は、部活動が終わった後も残って練習をするなど努力を積み重ねていきました。
元々、身体能力は高かった八村塁選手。
めきめきと実力をつけ、3年生の時には第42回全国中学校バスケットボール大会準優勝に貢献、大会ベスト5に選出されるなど大きく成長しました。
八村塁は小学校時代から身体能力が高かった?
小学生の頃は野球と陸上をしていた八村塁選手。
ピッチャーをすれば取れる選手がいない程の豪速球を投げ、陸上では全国大会に出場し、大会記録を出す活躍をしていました。
その頃から、ずば抜けた身体能力であったようです。
八村塁の家族構成は?
八村阿蓮
“塁(兄)には、やっと一歩近づいたぞ、と伝えたい”#jspowc #ウインターカップ pic.twitter.com/F2jR7kNxGF
— J SPORTS🧡バスケット【公式】 (@jsports_wc) 2017年12月29日
八村あるある言いたい〜
妹もすご〜い〜 pic.twitter.com/puCiNpXkEr— ちぃにょみ916 (@0207BUSTERS) 2019年6月20日
両親は既に離婚されていているそうなのですが、八村塁選手には弟の「八村阿蓮さん」妹の「八村安美菜さん」がいらっしゃいます。
弟の阿蓮さん、妹の安美菜さんともにバスケットボールをしています。
まとめ
- 八村塁選手の身長は206㎝、体重は106㎏、足のサイズは34㎝。
- 父親がベナン人、母親が日本人のハーフで、国籍は日本。
- NCAAの強豪大学であるゴンザガ大学に入学。
- 宮城県仙台市にある明成高校出身。
- 高校バスケットボールの頂点を決めるウインターカップで3連覇。
- 日本人で初めてとなるNCAAディビジョン1の強豪校からスカラシップ選手として勧誘される。
- 富山市立奥田中学校の出身。坂本穣治コーチと出会う。