戸辺(戸邊)直人出身高校大学学部や経歴は?恩師とコーチの練習エピソード





東京オリンピックでも活躍が期待される、陸上男子走り高跳びの戸辺直人選手が2月2日にドイツのカールスルーエで開催された世界室内ツアーで2m35を跳び、13年ぶりに日本記録を更新して優勝しました。

なかなか記録を更新するのは難しいと言われていた走り高跳びの日本記録を更新した戸辺直人選手とは一体どんな人物なのでしょう。

究極の文武両道男とも言われ、大学院にまで進み、修士で2年、さらに博士で3年と大学生活を計9年間をすごしたという戸辺直人選手。

その練習方法や大学でどんな研究をしていたのか、そして運命を変えたという恩師、コーチの存在について調べていきます。





戸辺直人出身高校は?

 

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National Championships🇯🇵 2m27🥇

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戸辺直人選手は男子走高跳の現日本記録保持者で千葉県野田市出身です。

野田市立第二中学校時代は「第33回全日本中学校陸上競技選手権大会」に中学3年生の時に出場し、”1m94”で優勝しました。

中学卒業後「専修大学松戸高等学校」に進学します。

専修大学松戸高等学校の偏差値は60以上あり、千葉県内でも難易度が高い高校です。

戸辺選手は、頭も良い事が分かりますね。

陸上部での記録としては、高校3年生の時にインターハイ出場し”2m18”で優勝

そのインターハイから2ヶ月後に行われた「トキめき新潟国体」では高校新記録となる”2m23”で優勝し、高校2冠を飾っています。

高校時代から既に、日本トップレベルの力を持っていたと言えますね。

戸辺直人大学学部は?

高校卒業後は国立の筑波大学に進学します。

筑波大学での競技記録としては、大学1年の時に「世界ジュニア選手権」で銅メダルを獲得し、大学2年の時に「第94回日本陸上競技選手権大会」で5位入賞「第19回アジア陸上」の代表となりました

そして大学3年の時には「第95回日本陸上競技選手権大会」に出場し”2m22”で初優勝し、「第17回アジア競技大会」では、初出場ながら”2m21”で5位入賞を果たしています。

戸辺直人選手は、4年間の筑波大学生活のあと、そのまま大学院に進んで修士で2年、さらに博士で3年と筑波大学で計9年間を過ごしています。

「4年生になるまでは、大学院に進んで博士号をとるなどとは夢にも思わなかった。本当に世界のトップにいくためには何が必要かを考えると、答えが見つからなかった。その答えを研究する必要性を強く感じ、大学院進学を決めた」

と戸辺直人選手は語っています。

大学院での専攻は走り高跳びのコーチング学

研究にはかなり時間を使い、競技に支障が出ることもあったそうです。

しかし勉強と競技の両立は、互いに良い影響を及ぼしていることは実感していた、とも語っていて、まさに文武両道のアスリートなのがわかりますね。




戸辺直人身長体重

 

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🇯🇵Representation from Japan🇯🇵 @jaaf_official #highjump #athletics #trackandfield #worldchampionships #走高跳 #陸上競技 #puma #pumafam #jal #日本航空

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戸辺直人選手の身長は194cm体重74kgと高跳びをするには恵まれた体格をしています。

しかし、その体格を活かせることが出来たのは、筑波大学時代に欧州へと飛び出したことにあると言います。

日本では筑波大学を拠点にする一方で、アスリートとしては「ウクライナ」や「エストニア」といった世界トップレベルの選手が多くいる東欧諸国に滞在し、陸上ダイヤモンドリーグや世界室内ツアーの各大会だけでなく、欧州で開催される様々な大会に出場してきました。

日本式のトレーニングとは異なる”質”に重点を置いたトレーニング法や、長身選手ならではの跳躍法など、多くのことを学ぶ事が出来たといいます。

走り高跳びは非常に繊細な競技であり、数センチの踏切のズレが大きな記録の差につながってきます。

そして、風や気温などの外部要因で微妙な感覚が変わってしまう為、いかに良い時の跳躍を再現できるかが重要になります。

再現性を高めるために、戸辺直人選手は”競技”と”研究”の2足のわらじを履いて、コーチング学の博士学位取得に至り、競技を科学の面からも研究し、自身の跳躍に活かしてきたということです。

戸辺直人の経歴は?

大学卒業後、大学院に通いながら千葉陸協を経て、つくばツインピークスに所属し競技生活を送ります。

2015年の「第99回日本陸上競技選手権大会」で自身2度目の優勝を果たし、2015年世界陸上競技選手権大会代表に選ばれました。

近年は、日本代表から遠ざかっていましたが「第102回日本陸上競技選手権大会」において2位に入賞し「第18回アジア大会出場」を決めました。

2018年、欧州遠征中に出場した試合で日本歴代2位タイとなる”2m32”を記録

その後、インドネシア・ジャカルタで行われた「第18回アジア大会」で自身初の銅メダルを獲得しました。

そして2019年2月2日、ドイツ・カールスルーエで行われた「IAAFインドアミーティング」で”2m35”を記録して優勝、13年ぶりに日本記録を更新しました。

室内日本記録においても13年ぶりの更新となりました。

2019年、日本航空に入社

6月に行われた「第103回日本陸上競技選手権大会」では”2m27”で優勝し、「2019年世界陸上競技選手権大会」の代表に選ばれました。

毎年着実に記録を伸ばしていますが、2m30㎝を超えるレベルに至ると、記録を伸ばすのが厳しくなってくるようです。

戸辺直人選手は”2m40”を目標に、日々トレーニングを積んでいるそうですが、”2m35”の日本記録を出したことで、その目標も射程圏内と言えるのではないでしょうか。

戸辺直人の恩師、コーチとのエピソード

戸辺直人選手の恩師でありコーチは、筑波大学で陸上監督を務められた「図子浩二さん」です。

練習自体はメニューも戸辺直人選手が自分で立てて、実際の練習も自主的に行うものが多かったとの事ですが、跳躍選手の練習法について研究していた図子浩二さんは、戸辺直人選手に多大な影響を与えたそうです。

図子浩二さんのアドバイスを受けて、日本トップアスリートへと成長していった戸辺直人選手ですが、図子浩二さんは2016年に52歳という早すぎる死を迎えてしましました

戸辺直人選手、それが一つの原因で「リオデジャネイロオリンピック」の出場を逃してしまいます

恩師でありコーチの図子浩二さんとの突然の別れ、戸辺直人選手は精神的にかなりのショックを受けたそうです。

図子浩二さんは、日本人アスリートのトレーニング法やメカニズムなどを研究していらっしゃいました。

日本人やアジア諸国の黄色人種は、足の長さが短いという身体的な特徴があり、生まれ持った跳躍力が強くない為、その生まれ持ったハンデをどう克服していけるのか?

世界で通用する選手に育成するにはどうすればいいのか?

スポーツを科学的に分析して、より効率の良い動きをする研究をしないと勝てない。

体格で海外の選手に劣る日本人はどうすればよいのか。

日々研究をしていたそうです。

こういった研究においても図子浩二さんから影響を受けていたということですね。

戸辺直人選手は恩師の死を乗り越えて、

「東京オリンピックでメダルを取るんだ!」

と強い意志を持ちながら、トレーニングに励んでいるそうです。




戸辺直人のプロフィール

 

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Wonderful indoor season was done. Now, looking ahead to the outdoor. #highjump #athletics #trackandfield #worldindoortour #athlete #jump #陸上競技 #走高跳

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名前:戸辺直人

生年月日:1992年3月31日

年齢:27歳

出身地:千葉県野田市

学歴: 筑波大学

身長:194㎝

体重:74㎏

所属:日本航空

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まとめ

  • 戸辺直人選手は中学卒業後、専修大学松戸高等学校に進学。トキめき新潟国体で高校新記録となる”2m23”をマーク。
  • 戸辺直人選手は、高校卒業後は国立の筑波大学に進学。大学院にまで進んで修士で2年、さらに博士で3年と筑波大学で計9年間を過ごす。
  • 大学院では走り高跳びのコーチング学を研究。
  • 2019年2月2日、「IAAFインドアミーティング」で”2m35”を記録して優勝、13年ぶりに日本記録を更新する。
  • 戸辺直人選手の恩師でありコーチの図子浩二さんと共に走り幅跳びの研究をしてきたが、図子浩二さんが若くして死去。
  • 戸辺直人選手の図子浩二さんの意志を受け継ぎ、文武両道でトレーニングを日々積んでいる。