2014年に初マラソンで日本学生記録を5分も更新した前田彩里選手。
”マラソン界期待の新星”と言われ、かわいいルックスとともに人気の選手ですが、なんと父親も母親も日本でトップランナー。
さらに前田彩里選手の姉も佛教大学の長距離のコーチを務めているそうです。
また、2013年に前田彩里選手の父親は「五輪に行ってほしい」と言葉を残しお亡くなりになられたそうです。
今回は亡き父との約束を胸にオリンピック出場を目指す前田彩里選手お父親・母親・兄弟姉妹・家族構成についてご紹介します。
前田彩里の父親の職業は?
前田彩里選手の父親は前田節夫さんで舌癌で闘病後2013年にお亡くなりになられました。
享年54歳でした。
本田技研工業熊本に所属するマラソンランナーをしており、引退後は監督を務めました。
1987年にびわ湖毎日マラソンに出場した前田節夫さんは第10位で2時間13分54秒の好記録を残しています。
前田彩里選手は、実業団でマラソン競技を続けており、父と同じ道を歩んでいます。
きっと小さい頃の父の背中に憧れがあり、自らも同じ道を進もうと決意したのだとおもいます。
前田彩里の母親の職業は?
前田彩里選手の母親は市民ランナーが集う熊本CAC所属の現役マラソンランナーの前田淳子さんです。
また、2016年にミズノランニングクラブにも入会されているそうです。
前田淳子さんのマラソンの出場回数はなんと40回以上と驚きの出場回数です。
2014年、前田淳子さんは、前田彩里選手とともに大阪国際女子マラソンに出場します。
当時50歳だった前田淳子さんは、前田彩里の父節夫さんの看病により1年のブランクがあったものの、2時間55分24秒という好記録を残します。
フルマラソン3時間を切るサブスリーを達成する人は全体の3%未満と言われており、実業団選手でなく市民ランナーの女性でサブスリーを達成する記録を持つことは偉業だとも言えます。
また、2014年大阪国際女子マラソンの前田彩里選手の記録は日本学生記録を5分と大幅更新する2時間26分46秒でした。
前田彩里選手と前田淳子さん親子合計タイムは5時間22分10秒と従来のギネス記録を8分以上更新し、今もなおギネス記録に残っています。
前田彩里選手は父親だけでなく、母親も一流のランナーであったようで“この親にしてこの子あり“ということわざのようですね。
前田彩里に兄弟姉妹はいる?
前田彩里選手には2歳年上のお姉さんがいらっしゃいます。
お名前は前田祐佳さんです。
前田祐佳さんも長距離ランナーで、熊本信愛女学院高校、福岡大学で陸上競技を行っていたようです。
前田彩里選手が佛教大学を卒業後に、全日本大学女子駅伝で13年ぶりのシード落ちを経験します。
そこで、駅伝強豪校再建のために佛教大学のコーチに前田祐佳さんが招かれたようです。
しかし、現在佛教大学のホームペ―ジには前田祐佳さんのお名前は掲載されていませんので、退職されたのだと思います。
現在の職業の情報はありませんでしたが、ランニングは続けているような気がします。
前田彩里の家族構成は?
前田彩里選手の家族は父・母・2歳年上の姉です。
つまり、前田彩里選手の実家では全員が一流のランナーであり、前田彩里選手はマラソン界のサラブレッドといえます。
また、前田彩里選手が結婚した窪田忍選手も日本長距離界のイケメンエースです。
前田彩里選手と窪田忍選手の間にお子さんが生まれると、マラソン界のサラブレッドが誕生するでしょう!
将来3世代で活躍されることを期待しています。
前田彩里の性格は?
前田彩里選手の性格はマイペースで物怖じしない努力をおしまない性格です。
前田彩里選手の座右の銘は「自分らしく周りに惑わされず」だそうです。
マラソン初挑戦で日本学生記録を更新する2時間26分台を残し、「マラソンの期待の新星」とも言われプレッシャーも大きい中の2戦目も「重圧はありませんでした」と語っていたようです。
周りからのプレッシャーには惑わされず、自分らしく貫くメンタルがあるからこそレースで力を出し切れたのだと思います。
また高校時代の指導者と現在所属のダイハツ工業の指導者ともに前田彩里選手のことを「努力家」と認めているそうです。
練習をかなりするそうで、ほっておいたらどんどん走ってしまうため、指導者が抑えないといけないくらいだそうです。
日々の努力を欠かさず、さらに大きな大会での周囲からのプレッシャーにも物怖じしないマイペースさで力が発揮でき、日本のマラソン界のエースと成長したのだと思います。
前田彩里はいつ結婚した?
前田彩里選手は2018年4月に、トヨタ自動車に所属の窪田忍選手と結婚していたことを2018年の12月に発表しました。
前田彩里選手、窪田忍選手両方のインスタグラムで2018年12月に結婚したことが発表されました。
前田彩里選手は「結婚後も第一線で競技を続けたい」と言っているので、結婚後も引退はされないようです。
同じ競技を専攻しているからこそ理解できることもあると思うので、2人で力を合わせて日本マラソン界を盛り上げてほしいです。
前田彩里と父親が約束したこととは?
前田彩里さんの父親が、亡くなる前に前田彩里選手に伝えた言葉があります。
「走ってほしい。オリンピックに行ってほしい」
この言葉を聞いた前田彩里選手は「オリンピックに行きたいんじゃなくて、行かないといけない」と思うようになったそうです。
2013年に前田節夫さんが亡くなって以来、お父さんの喪章をユニフォームの裏につけて走っており、20歳の成人の日に前田節夫さんからいただいた指輪を小指にずっとはめているそうです。
前田節夫さんは2013年に亡くなって以来、2014年の大阪国際女子マラソンで日本学生記録を樹立して以来、2015年の名古屋ウィメンズマラソンでも日本歴代8位の記録で日本人トップになるなど好記録を連発していました。
前田彩里選手は「私にはお父さんがいるから大丈夫って思える、心強いです」と語り、父の存在に支えられ強くなったのだと感じます。
残念ながら故障によりMGCの大会に出場することができなかった前田彩里選手。
東京オリンピックマラソンには出場することができませんでしたが、4年後のオリンピックでは32歳とまだまだ代表を狙える年齢だと思います。
亡き父との約束を胸に、オリンピックに出場して走る姿をお父さんに見せてあげてほしいです。
まとめ
- 前田彩里選手の父親は前田節夫さんです。本田技研工業熊本で実業団ランナーをされており、引退後は監督を務めていた。舌癌で闘病後2013年に54歳で亡くなったそうです。
- 前田彩里選手の母親は前田淳子さんです。市民ランナーで、フルマラソン3時間を切るサブスリーを達成するほどの実力があるランナーです。
- 2014年前田彩里選手と母前田淳子さんは大阪国際マラソンで親子合計タイムが5時間22分10秒で、従来の記録を8分も更新し、現在もギネス記録に乗っている。
- 前田彩里さんの姉は前田祐佳さんです。長距離ランナーで高校・大学と活躍しており、前田彩里選手が佛教大学を卒業してから同大学のコーチを務めていたそうです。
- 前田彩里選手はトヨタ自動車に所属する長距離界のエース窪田忍選手と2018年4月に結婚しました。
- 前田彩里選手の性格はマイペースで物怖じしない努力家です。
- 前田彩里選手は、父前田節夫さんが亡くなる前に「走ってほしい。オリンピックに行ってほしい」と言われたようです。しかし、残念ながら故障のため東京五輪出場はかないませんでした。