2020年にいよいよ東京にてオリンピックが開催され各競技において強化や今年も数々の世界大会が開催されます。
陸上の花形種目と言えば「マラソン競技」で9月にはMGCも開催されマラソンの日本代表が決定されていきます。
そんな中、2019年4月よりプロランナーとして活動を開始する川内優輝選手。
これまで市民ランナーとして数々の記録や記憶を残してきた川内優輝選手の経歴やプロフィール、そしてプロ転向の理由やスポンサー企業や収入についても取り上げていきたいと思います。
川内優輝のスポンサー企業・年収収入は?
藤原新さんや神野大地さんみたいにマラソン界においてプロになった選手は通常、プロになった選手はマネジメント会社をつけてスポンサーを集めていきますが、川内優輝選手は「自分が競技に集中するためには、積極的に何かマネジメント会社を付けて求めるとかはする必要はないのかなと思ってます」と、スポンサーに縛られない形での競技に打ち込みたい考えをもっているみたいです。
2019年4月1日にあいおいニッセイ同和損害保険株式会社が所属になると発表がされました。
プロランナー・川内優輝、あいおいニッセイ同和損保と所属契約(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース https://t.co/XuUkyUZf7Q @YahooNewsTopics
— Masayoshi (@maiba_16) 2019年4月1日
これで一安心とともに競技に集中できる環境が整いそうですね。
では、今後、川内優輝選手の年収や収入面としてはどうなっていくのでしょうか?
これまでは川内優輝選手は公務員だったので安定した収入を得ていた反面、海外レースをはじめ、出場料や優勝で得た賞金などは公務員規定に抵触するため断っていたのが、プロランナーになると受け取ることができるので、安定はしないかもしれませんが、結果次第ではあるものの競技生活をしていくことも可能かもしれませんね。
ただ、川内優輝選手の知名度は抜群なので、これまでできなかった講演会の出演や特別コーチなどレース以外の活動もどんどんやって川内優輝選手のようなランナーをたくさん作っていってもらいたいですね。
川内優輝のプロ転向の理由は?
ボストンマラソン後にプロランナー転向を発表した川内優輝選手、これまで公務員として市民ランナーとして活動をしていた川内優輝選手がプロ転向した理由としては何だったのでしょうか?
川内優輝選手がプロ転向にあたり、
「昔から知ってる人は聞いていると思うけど、3年結果が出なければ、環境を変えると話してきた。それがズルズルと5年もやってきた」
と、説明。
さらに
「弟がプロとして大幅に自己ベストを更新している。自分が出勤するときに、治療にあてたり、思いきった練習ができている。うらやましさがあった。」
と、告白した。
「サインにいつも『現状打破』と添えているけど、自分が一番『現状維持』。矛盾を感じていた。」
とコメントをしています。
ボストンマラソン優勝も後押しとなって、川内優輝選手自身が後悔したくないマラソン人生をしたいと思ったのかもしれませんね。
川内優輝のプロフィール
名前:川内優輝(かわうちゆうき)
生年月日:1987年3月5日(32歳)
身長/体重:175㎝/62㎏
出身地:東京都世田谷区(育ちは埼玉県北葛飾郡鷲宮町)
経歴:鷲宮中学校→春日部東高校→学習院大学→埼玉県庁(~2018年)
自己記録:マラソン2時間8分14秒(2013ソウル国際マラソン)
主な実績
- 箱根駅伝出場(関東学連選抜):2度出場(6区区間6位と区間3位)
- 世界選手権マラソン代表(2011、2013、2017)
- アジア大会マラソン代表(2014):銅メダル
- ボストンマラソン2018優勝
川内優輝の経歴
高校時代は県大会レベルで無名の存在、大学時代は学習院大学で関東学連選抜の選手として箱根駅伝の山下りの6区に2度(大学2年次と4年次)に出場しています。
▶︎②4位と大躍進した八年前の箱根駅伝を録画保存してたので見返しました。この時のような強い大東が見たい!箱根三連覇中の青山もこの時は22位。そしてこの時、前年王者だった駒沢がなんとシード落ち。さらに驚いたのは世界に羽ばたいた川内優輝が学連選抜でこの時に出てたのね。貴重映像。▶︎ pic.twitter.com/15z8Rg6O3F
— リコーダー・アース&レインボー・ブリッジ@杖とリコーダーと魔女修業4.1出版 (@reb_nijinohashi) 2017年10月13日
大学卒業後は、実業団へは進まず埼玉県庁に就職をするとともに市民ランナーとしてマランに出場するようになります。
川内優輝選手が一躍有名になったのは、2011年東京マラソンです。
東京マラソンでは過去のオリンピックや世界選手権の日本代表選手らを抑え、終盤の追い上げて2時間8分台の日本人トップになって世界選手権の代表となりました。
それを境に、実業団には所属しないフルタイム勤務の市民ランナーとして脚光を浴び、一流のマラソンランナーとは異なり、毎週のように各地域で行われるレースに出場をして異色のランナーとして注目を浴びるようになりました。
その後、数々のレースに出場するとともに世界選手権にマラソン代表として3度出場しましたが、オリンピック選考レースで結果を残すことが出来ずオリンピックには1度も出場を果たしてはいません。
そんな川内優輝選手が、世界でも注目されたのが2018年のボストンマラソンで優勝したことです。
そして、ボストンマラソンから帰国後に2019年4月よりプロランナーに転向することを発表しました。
川内優輝の記録成績
川内優輝選手は異色のランナー・最強の市民ランナーとしてこれまでマラソンレースにおいて数々の記録や成績を残してきました。
ここでは川内優輝選手ならでは記録成績を取り上げていきたいと思います。
川内優輝選手の初マラソン
- フルマラソン76回目のサブ20(2時間20分切り)
- フルマラソン13回目のサブ10(2時間10分切り)
川内優輝選手の初マラソンは2009年の別大大分毎日マラソンで、そこから年間10レース以上のフルマラソンに出場しており、そのフルマラソンにおいても数々の記録を残してきていますが、市民ランナーとしてトップランナーの証でもあるサブ20を76回とギネス世界記録にも認定されているほどの記録の持ち主です。
また、一流のランナーでもあるサブ10を13回もきっており、実業団に所属するマラソンランナーでも1回でもきれればすごいと言われているのに対して13回も2時間8もしくは9分台で走っているのは素晴らしいですね
川内優輝選手の日本各地のマラソンレース
通算30回のフルマラソン優勝
川内優輝選手は日本各地のマラソンレース、日本にとどまらず世界でのマラソンレースにも出場しています。
メジャーな大会から地域で開催レースまで様々なレースに出場していますが、「優勝」を30回もしているというのはとてもすごいですね。2位や3位も多いと思いますので、自宅にはかなりの量のメダルやトロフィー、賞状があることが考えられますね。
ボストンマラソン2018
ボストンマラソン2018優勝
30回の優勝の中でも、記録に残るのがボストンマラソン2018ではないかと思います。
すごい理由としては、2006年に開始されたワールドマラソンメジャーズ(世界の主要マラソンレース)において、日本人で初めて制しました。
この優勝で「世界のカワウチ」と一躍世界でも有名になりました。
また、ボストンマラソンは1987年の瀬古利彦さん以来となる31年振りの優勝となりました。
川内優輝の彼女・結婚
川内優輝選手がプロランナー転向直前の2019年3月に、結婚発表をしました。
お相手は実業団のデンソーに所属し、3月の名古屋ウィメンズマラソンで現役引退を発表した水口侑子選手です。
#クイーンズ駅伝 3区
水口侑子さん(デンソー) 36:16 pic.twitter.com/U7VC7sj5t8
— Tさんrunner (@Runner_2653) 2016年12月5日
これまで特にプライベートの発表もなかったのでマラソンファンのすごくびっくりしたとともに幸せな気分と祝福ムードとなりました。
プロランナーとして活動をする川内優輝選手の支えになるとともに夫婦でマラソンレースやイベントに参加をして盛り上げてくれるなどこれからの活動にも注目されていきますね。
まとめ
- 川内優輝選手は実業団には所属しないフルタイム勤務の市民ランナーとして脚光を浴びた異色のランナー
- 世界選手権日本男子マラソン代表として3度出場やアジア大会銅メダル獲得、ボストン
マラソン2018優勝など数々のレースで実績や結果を残している - 記録においてもギネス世界記録でもある76回のサブ20や13回のサブ10などの記録を残
している - プロランナーになる理由として、自身の現状打破や弟の存在があげられる
- 川内優輝選手の所属があいおいニッセイ同和損害保険株式会社となった
- 2019年3月に結婚を発表、相手はマラソンランナーの水口侑子さん