現在巨人のキャプテンとしてチームを引っ張っている坂本勇人選手。
巨人の生え抜き選手として2年目からスタメンになるなど順風満帆なように見えますが、幼少期は両親の離婚により母子家庭で育ったという過去があるようです。
ファンの中では有名な話なようですが、実際に坂本勇人選手が母子家庭の中でどんな子供時代を歩んできたのかを見てみたいと思います。
さらに坂本勇人選手の母親の命日に関するエピソードも紹介します。
坂本勇人は母子家庭で育った
少年野球時代の
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— ★芸能人㊙幼少期画像★ (@yousyouki_kawai) 2019年6月27日
坂本勇人選手は幼少期は兵庫県伊丹市で育っていました。
そんな幼い頃に両親が離婚してしまい母子家庭となってしまいました。
坂本勇人選手の父親、喜代三さんですが、当時はアメリカに牧場を持っており食肉の卸業を営んでいたようです。
その仕事のせいもあり、日本にいることが少なかったようでそれが離婚原因になったのではとも言われています。
母子家庭となってからは坂本勇人選手の母親、輝美さんが父親としての役割も果たしてくれていたようです。
小学生の頃から野球をしていた坂本勇人選手ですが、当時所属していた少年野球チームの昆陽里タイガースでも会計係を務めたり、子供達の移動の際には送迎係をしたりとチームの運営にも多く関わっていたようです。
坂本勇人選手は3人兄弟で、3人とも野球をしていたようです。
女手一つで男3人兄弟を育て上げるのにはかなり大変だったと思います。
ですが、それをやりきった輝美さんは坂本勇人選手にとっても自慢の母親なんだと思います。
現在の坂本勇人があるのは母親のおかげ?
2019.6.18 オリックス戦⚾︎#坂本勇人 pic.twitter.com/29vQVVIYmM
— ☻ (@_s_hyto6) 2019年6月24日
幼少期から野球を続け、現在では押しも押されもせぬ巨人のショートとなっている坂本勇人選手ですが、その原点を作ったのは母親の輝美さんなのかもしれません。
坂本勇人選手が野球を始める時にお兄さんのお下がりのグローブをもらったのですが、お兄さんは右利きだったため右利き用のグローブでした。
坂本勇人選手は元々左利きだったのですが、それがきっかけで野球では右投げが定着してしまいました。
右利き用のグローブを坂本勇人選手に与えた数日後に輝美さんは「勇人は左利きだった」と気づいたようですが、その時にはすでに壁に右投げでボールを投げていたため現在も右投げとなっているようです。
また、バッティングでも小学生時代は両打ちとして練習していたようですが、同期だった田中将大選手の球を左打席で打つことができず、調子が上がらず悩んでいた時期があったようです。
そんな時に母・輝美さんが
「左がダメなら右でしてみたら落ち込んでたってしょうがないでしょ。やるだけやってダメなら次の方法考えたらいいじゃない。」
とアドバイスした結果、坂本勇人選手は田中将大選手の球を打つことができ、そこから右打席一筋になったようです。
守備面にしてもバッティングにしても母親の行動や助言がなかったら今の坂本勇人選手はなかったのかもしれませんね。
実際に坂本勇人選手本人も
「母親の助言がなかったら、今の僕はなかったかもしれない」
と語っています。
どれだけ助言が大きな影響をもたらしたのかがわかりますね。
坂本勇人の母親は癌でなくなってしまった
そんな女手一つで育て上げてきた母・輝美さんですが、坂本勇人選手がドラフトされた2007年に余命宣告をされてしまいました。
その原因が小腸ガンでした。
長年の無理が祟って、そうなってしまったのかもしれません。
そして2007年にプロ野球選手となった坂本勇人選手の試合を1試合だけ観戦し、その1ヶ月後に亡くなってしまいました。
坂本勇人が母親に送ったホームラン
小腸ガンにより坂本勇人選手がプロ野球選手として1軍で活躍する姿を見ることなく、亡くなってしまった母・輝美さんですが、亡くなる1ヶ月前に坂本勇人選手が出場する2軍の試合を1度観戦に訪れたことがあるようです。
その試合には母親の体調が悪い事を悟っていた坂本勇人選手の招待で訪れたようです。
坂本勇人選手はその試合の第1打席でホームランを放ちました。
余命が残りわずかに迫っていた中で、招待してもらった試合でホームランを見ることができ、母・輝美さんは涙を流し喜んだそうです。
母親が唯一見ることができた試合で、しっかりとホームランを放つ坂本勇人選手も母親の前でホームランを放つことができ嬉しかったと思います。
坂本勇人は母の命日にすることとは
坂本勇人 母の日の登場曲
LETTER〜おかんに贈る音の手紙〜 pic.twitter.com/bUCdg887tX
— ころ🐢7/2東京D (@YG__koro) 2018年5月13日
2007年に亡くなってしまった坂本勇人選手の母・輝美さんですが、坂本勇人選手は毎年命日の6月19日には決まって登場曲を変更して試合に望んでいます。
毎年6月19日にかける登場曲はG2の「LETTER~おかんに贈る音の手紙~」にしています。
入場曲を変えることで母への思いを示しています。
さらに坂本勇人選手は母の命日には好成績を残しており、2016年の6月19日の試合では3安打2打点の大活躍を果たし、チームを勝利に導きました。
今後もこのような成績を残し続けてもらいたいと思います。
坂本勇人の兄弟はどんな人
坂本勇人選手は3人兄弟の次男ですが、坂本勇人選手の兄弟は3人とも野球をしていたようです。
坂本勇人選手の兄は6歳年上で、名前は勇太さんです。
勇太さんも野球をやっており、その影響で坂本勇人選手も野球を始めるきっかけになったようです。
現在はすでに結婚をしており、子供もいるようで野球からは一線を退いているようです。
坂本勇人選手の弟は3歳年下で、名前は勇斗さんです。
勇斗さんは野球をやっていたという情報はありませんが、ほぼ間違いなく野球をしていたことがあると思います。
弟の職業ですが、坂本勇人選手のマネージャーなのではないかという噂が出ています。
その理由として、過去にグアムで坂本勇人選手が自主トレをするときに勇斗さんも帯同しており、坂本勇人選手をサポートしていました。
自主トレ期間は約1ヶ月のため普通の社会人ではなかなか休むことができないくらいの日数です。
そのため坂本勇人選手の個人マネージャーではないかと言われています。
坂本勇人の今シーズンのここまでの成績は
いつだかのはやと。#坂本勇人 pic.twitter.com/xkIuaNI9Is
— ふーくん (@___fkn319) 2019年6月25日
今シーズンで巨人のキャプテン就任5年目となる坂本勇人選手は、今シーズンは打撃面でかなり好成績を残しています。
特に今シーズンはホームラン数が圧倒的で69試合ですでに21本のホームランを放っており、キャリアハイペースで進んでいます。
打率も現在は.300をキープしており、打点も48をあげています。
現在ホームラン・打点・打率全ての部門においてセ・リーグトップ10にランクインしており、特にホームランでは2位にすわっており、日本人選手の中ではトップになっています。
また、今シーズンの母・輝美さんの命日でもある6月19日の試合の成績は4打数0安打と成績は奮いませんでした。
来シーズンこそは好成績を残してもらいたいです。
まとめ
- 坂本勇人選手は母子家庭で育った
- 坂本勇人選手の父親はアメリカで牧場を持っており、卸業をしている
- 坂本勇人選手の母親、輝美さんは女手一つで男兄弟3人を育て上げた
- 輝美さんの助言が現在の坂本勇人選手に大きな影響を与えた
- 母、輝美さんは小腸ガンで2007年に亡くなった
- 坂本勇人選手は母、輝美さんを招待した試合でホームランを放った
- 坂本勇人選手の兄は6歳年上の勇太さん。弟は3歳年下の勇斗さん